スーツは嫌いだ。

スーツは嫌いだ。21歳の初夏、就活イベント会場の鏡に映る自分を見て思った。身に纏っていたのはアルバイト代で買ったパターンオーダーのスーツ。色はチャコールグレー。

服が好きだった私だが、スーツについては、無個性で均一化された人民服に思えた。社会人になると、これから先数十年もこれを着続けるのか、と文字通り、“鼠色”の人生の象徴のように感じていたのだ。

その私がいま、スーツを生業にし、当時よりさらに服を愛していられるのは“注文服店”深野羅紗店と出会ったからだと言える。幼少期から懐古主義的な嗜好に傾倒していた私は、こと服についてもクラシカルな雰囲気を求めた。

 

きっかけはGoogle画像検索。

当時、2010年頃。流行のスーツと言えば、極端なタイトシルエットであったと思う。これは私の元来の好に合わなかった。かと言って、“鼠色”の大人達が着る昭和的なダボダボのスーツに格好良さを見出すわけでもない。徹慢な言いかたをすれば、私の琴線に触れるスーツに出会うことができなかったのだ。

そんな折、たまたま見つけた1枚の写真から、私は深野羅紗店に辿り着く。写真には無地の薄茶色の上衣が写っていたのだが、それに大変惹きつけられた。構築的で立体感のある襟に、無理のない自然なシルエット。生地はシンプルがゆえ、羊毛本来の素材感が堂々とそこに在った。

これは正統なスーツの姿であるが、現代日本人(もっと言えばスーツを知らない若輩者)の目にも素敵に映るのは、同店の数十年間のノウハウを基に緻密に構成された技の妙、深野羅紗店らしさが表れていたと思う。その雰囲気に取り憑かれ、実際に足を運んでみることにした。

 

世にもクラシックな物語へ。

同店を目指し、神田を步く。赤煉瓦の高架下の先にビビットな緑色の屋根、そこには「高級注文服」の文字。何十年物であろう木製の引戸に手を掛け、恐るおそる開けると、所狭しと積み上げられた生地と構脳の香りに包まれた。

「いらっしゃいませ」。穏やかな声色の挨拶に緊張が緩む。丁寧な案内に導かれ、生地選びがスタート。何百とある生地はどれもこれまで見たことのない味わい深さがあるように感じた。これは自然素材にこだわった同店のセレクト方針によるものだと言う。

また、生地を身体に当てながら選べるのも良い。バンチブックでは好きな生地は選べても、それが自分に似合うかどうか確かめることが難しいからだ。熟考の末、生地が決まるとデザイン決めと採寸へ進む。

 

初めての深野製スーツ。

私見だがテーラリングに最も重要なのは“対話”である。テーラーに、いかに自身のイメージを伝えられるかが仕上がりに大きく影響する。その点において、同店のスタッフは話しやすく好感を覚えた。アドバイスは適切に行いつつも、スタイリングを押し付けられることは決してなかった。

また、デザイン決めや寸法設定についてはできることの多さに驚きの連続であった。なお、知識を得た現在の私からしても、同店のオーダーシステムはカバー範囲が非常に広いと感じる。パターンオーダーはもちろん、百貨店のイージーオーダーにも圧勝のひとことである。これでこそ、“注文服店”だ。

こうして私にとって初めての“深野製”のスーツが出来上がる。それは想像の上行く仕上がりで、満足と言うほか無かった。初心者ゆえ、知識不足で「おまかせ」にした部分も多々あったのだが、適度な技配で調整してくれた。シルエットやディテールなど全体を通して、時代が変遷しても適応できるようにという配慮を感じる品であった。現に、それから10年が経ったいまでも、そのスーツは現役で活躍している。

 

進化する“注文服店”。

それから私はスーツはもちろん、カジュアルな服も深野羅紗店で“注文”してきた。それからどんどん同店に惹かれていった私は、気づけばいま、ここでテーラーをしている。そんな私はよく、大量生産の既製服が台頭する前、仕立てが一般的だった時代に想いを馳せる。服の数は少なくても、一着一着にその人らしさが詰め込まれた服を着る良さ。生地を選び、それを一から服にしていく楽しさ。

“注文服店”はその楽しさを提供する貴重な存在だと思う。私はこれを次の時代にも残し続けたい。スーツに限らず、もっと日常的に注文服を楽しんでもらえるようにしたい、と強く思っている。そのためお客様にはぜひなんでも“注文”していただきたい。それらを1つひとつ実現し、深野羅紗店はこれからも“注文服店”として進化し続けていくのだ。

深野羅紗店 高橋希望


2024年.2月

 

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